平成28年度第4回人権教育学級
- 日時
- 平成28年9月8日(木)
- 場所
- 別府市役所 5階大会議室
- テーマ
- 「混ぜる」コミュニティ・APUから見えてくるもの(外国人と人権)
- 講師
- 今村 正治 さん
立命館アジア太平洋大学(APU)副学長
講演概要
APUという大学
- 2000年開学、現在17年目になります。
- 開学に際し、コンセプトを「50%の留学生 50ヶ国以上 50%の教員をめざす」としました。
- 別府は田舎、しかも山のテッペンの大学。こんな大学に通ってくれるのかと不安でした。そして、ほとんどの人が失敗すると思っていました。

今村正治 先生
そして、今
- APU抜きにグローバル化は語れないし、世界的にも類のない特色のある大学になりました。
- 「グローバル化」とも「国際化」でもない、「混ぜる」という言葉が合う大学になっています。
- 世界の卒業生が、大学から見た別府湾の風景に愛着を持ち、このキャンパスが好きになり、別府という町が好きになっています。
- 熊本・大分地震のとき、世界中・日本中で卒業生が心配し、別府へ帰って来るものもいました
いまや「別府」という町は
熊本・大分地震のとき
- 最大43ヶ所の避難所に、5700人の市民が避難した。その中の約1000人が学生でした。
- 1000人の学生(多くは留学生)が、市民と一緒に体育館(避難所)で一夜を過ごすということは、日本の災害史上かってなかったことです。
- その中で、お年寄りをガイドしたり、食事を運んだり、分けたりの手伝いをしたり、ホテルに駆けつけ、外国人のガイドをしたり、学生たちがよく頑張ってくれたという話を聞くと嬉しくなりました。市民の方たちとの交流が進んだ証拠ではないでしょうか。
- 別府には九州で最初にできたイスラムのモスクがあります。ここでは、毎日国ごとに日替わりで200食弁当を作って避難所に届けました。もちろん市民の方にも配られました。
- 地震が起きて30分後、東京にいた韓国の卒業生が、グーグルマップを使って、英語で避難誘導のマップを作ってこれを流しました。
- 地震に関する別府市長のコメントを、世界の卒業生が各国の言葉に翻訳し紹介しました。こんなことができるのは別府だけではないでしょうか
- 熊本にもボランティアに行っています。別府駅では、南太平洋の学生たちがダンスや楽器演奏をしながら、ユニークさを出した募金活動をしていました。
- 彼らは言います。「国とか人とか関係ない。困った人がいれば、助けるのは当たり前だ」と。
「混ぜる」ということ、「分ける」ということ。
- 日本の教育は「分ける」教育といえないか。大学でも地元出身者が大半を占める。その地元の学生を中・高・大と「学力」で振り分けている。
その中では、気心も知れ、阿吽の呼吸で生活できるかも知れません。
しかし、それも経済や暮らしが回っている間は良いのかも知れませんが、世界に通用するかどうかは別問題です。

講演中
別府はまさに「混ざる」町、APUは「混ぜる」大学
- APUには大分出身の学生は10%に満たない。東京をはじめ関東圏出身の学生が4人に1人、福岡、大阪も多い。
- 学生と学生が混ざっている。教員も混ざっている。大学・企業も混ざっている。それがAPUです。
- 企業の社員が、APUハウスに2ヶ月間暮らし、言葉や文化などを学ぶというプログラムがあります。
- 吉本興業はAPUの多様性から世界に通用する「笑い」を作ろうとし、APUはエンターテイメントが培ってきた吉本のコミュニケーションから、授業の進め方を学んでいます。
- 企業とも混ざっていろいろなことをやっています。例えば、「フンドーキン醤油」と一緒になって、イスラム圏に輸出する醤油開発を行っている。
- 混ぜる教育の基本はAPハウスでの生活。ここで1年間学生たちは生涯に残る交流をおこない、日本語や日本の文化について学習します。
- 最近では日本人学生の入所希望者が増えていますし、希望者すべて受け入れられる条件を整えています。
- APハウスでの生活は、予想以上に厳しく、今までの常識・価値観が壊れることがたくさんあります。まさに世界と日本の価値観がまざっています。
- AACSB というビジネススクールとしての世界の認証を、日本で3番目にとることができました。日本の企業経営を学びたいというときなど、英語でも学べ、卒業できる国際基準の大学として、大変よいものになるのではないでしょうか。
- APUの卒業生は137ヶ国、13000人になります。そして、卒業生は日本でも世界でも活躍しています
- 別府市には、大学が3つもあります。若い人がいるということは街に元気が出ます。別府に在学する学生は約8000人、留学生は人口割では日本1です。障がい者も約8000人います。
この街の度量はすごい。温泉でいろいろな方を受け入れてきた別府は、今世界中の留学生を受け入れてきています。
- 糸井重里さんは、「混ぜる教育」という本の中に20ページくらいAPUについてのラブコールを書いてくれています。彼は「別府だからAPUは成功した」と言いましたが、別府の町を歩いて「混ざる町」別府と「混ぜる大学」APUの相性を見抜いたんだと思います。
- 多文化共生にとって必要なことは寛容なのです。別府はおおらかな町だと思います。
- 糸井さんは、「別府はお花畑だよ」と言っています。整然としていない、混ざっているけれども一つ一つが主張している、個性がある。
- 「混ざる」教育というけれど、黙っていてはダメ、「混ぜて!」というべきです。自分をちゃんと持って、輝いていくために混ざるのです。
「期待」が裏切られる
- 今の世の中、そんなバカなことは起こらないだろうと思っていたことが起こっています。
- 21世紀は戦争はなくなると期待していたのになくなりません。そして、テロがこれほど多くの人間を苦しめるとは想像もしていませんでした。2つの大戦で20世紀は難民の時代といわれていましたが、今も難民は続いています。人類が進歩し、技術が進んでいけば平和になるだろうと思っていましたが、そうはなっていません。イギリスのEUからの思いもしなかった脱退、アメリカのトランプ氏は大統領候補になるとは思っていませんでしたが・・・。フィリピン大統領の麻薬の取締りで射殺の許可・・・など。

聞き入る参加者
人工知能・ロボット
- 有名な言葉に「今の小学生の子どもは、将来、今ない職業に半分以上が就いている。」というのがあります。
- ロボットと人間を比べるのは無理ですが、ロボットに莫大なデーターを注入することで、いろいろな仕事ができるようになってきます。しかし、人間の脳と人工知能と単純に比較するのは間違っています。人工知能の働きは、まだ人間の脳のごく一部のものでしかありません。しかし、ロボットが巨大な技術革新をもたらし、人間の働き方や社会の仕組みに大きな影響をあたえることは確実です。
想像できない未来の姿を想像してみると・・・
- 世界の人口は90億人になり、日本は2200万人以上が75歳以上、ナイジェリアの人口増加率は50%で、大半が30歳未満に・・・。
- 世界で都市化が進み、ジャカルタ、ダッカ、カラチ、上海など、人口2500万人以上の都市がたくさん出てきます。
- 2050年には石油ガスはなくなり、2112年には石炭がなくなります。
- 2020年には18億人が水不足に。水を求めて人口移動が始まります。
- 今までは、子どもの未来にとって、親の経験や考え方が影響力を持っていました。しかし、これからの社会はもう大人にはわからない、予測不可能なのです。
- これからの教育は、どうにかこうにか生きていく力、いろいろな問題にあってもたじろがない力、考える力をつける方向に向かう必要があります。
- 生き方、働き方や価値観も社会システムも仕事も大転換することになります。
「レジリエンス」(自己回復力)時代の人間
- 人間は、考え続ける意欲を持ち、構築力・仮説構想力を身につけ、何でもこなしていくバランス型から、ひとつのことに強いスパイク型に、そしてみんながリーダーになっていく必要があります。

熱く語る今村先生
現在の人権と共生
- 日本にはいろいろな人権問題があるが、難民や民族の問題など差別や人権の問題は、国家的な問題になってきています。このことからも、これから私たちの視野も広げていかなければなりません。
- 民族差別、宗教対立、難民、移民問題など、人間社会はこれらの問題を解決できていません。
習慣とは、伝統とは、常識とは
- 「演歌」は「日本の心」と言いますが「演歌」は1960年代に始まります。それまでは、戦後日本の歌謡曲は浪曲や民謡でした。明治中期までは「夫婦別姓」でした。「黒の喪服」を着ること、これは明治にはいってからです。「初詣」の習慣、これは明治30年ごろから始まりました。こう考えると、私たちが日本本来の伝統と思っているものは、つくられたもの、思い込んでいるものかも。
- 「日本人とはこうだ」「韓国人とはこうだ」「中国人とはこうだ」と決めつけてしまわないほうがいい。所詮「人間だ」と思った方がいいし、そう考えることが人権問題の解決になっていくのではないでしょうか。「伝統・習慣・常識」にしても時代とともに変わってきています。
別府は理想のコミュニティになる可能性を秘めている
- 別府は他の街では経験できないことが経験できる町、目の前にいろいろな人たちが混ざりあい、人権意識を育むことのできる町、人権・共生を考える上でまたとない環境だと思います。
班の話し合いから
- 子どもたちにとって、別府は多文化を学ぶのにいい街と思う。自分たちは区別してきたものを、子どもたちはすんなりと受け入れることができている。
- 英語が苦手ということで一歩ひいてしまう。私と違い、APUの学生さんたちとふれあい、障がい者の人に対しても普段から接することの多い子どもたちは、スーッと入っていけてうらやましい。
- 外国の方に道を聞かれ、聞き取れたが、教えることができず悔しい思いをした。
- APUの学生さんと店でたまに会ったりするが、愛想がよい。

班での話し合いに

班での話し合いに
- 「混ぜる」ことでお互いを尊重しあえ、共生につながる。
- 講演を聞いて、自分は小さなコミュニティで子育てをしていると感じた。自分の価値観は正しいのか見直すきっかけとなりました。
- 外国の人と共に活動する子どもの姿を見て、国籍を取っ払う子どもの姿を見ました。
- 別府の外にいると、外国人の方がいるとめずらしかったけど、別府にいるとよく会うし、今はジェスチャーで対応できるようになった
- 県外から別府に移り住んできましたが、別府には障がい者の働きやすい、生活しやすい環境がある。APUの学生や外国人の方がうまくとけこめている街なので、他にはない地域と感じた。
- 大分の高校に進学したり、日出の方から通っている子を見ていると、別府の子はちょっと感覚が違っているような気がしていたけど、今日は、「別府だからAPUは成功した」と言われて、とてもうれしかった。
- 別府の街はすごく変化している街と感じる。昔は、外から引っ越してきた人にはとても閉鎖的で、APUができてから、いろんな国の人たちと混ざっていく中で、今は受け入れる感じへ変わったような気がします。
- 人間と人間のつながり、認め合える(寛容)関係が大切だと思った。
- 学童に外国の学生が来て、子どもたちと一緒に遊んだり、コミュニケーションを取り、楽しんでいる。
- 学生の、お店でのマナーのことを話していたが、今はマナーも良いし先輩がよく教えている。
- 学生との交流がもっとあればと思う。地域でもいろんな交流がほしいし、地域に入ってきてほしい。天空から降りて来てもらっていろいろと話したい。
- APUになかなか行く機会がないので、今度イベントなどにも行ってみたい。
- ハウステンボスの受付がロボットになった。仕事内容が変わっていく実感。
- APUが近くにあることに誇りを感じた。外国人が近くにいること、別府に住めているありがたさを感じた。

班からの発表

班からの発表
- 地震の時、APUの学生が車椅子を押して避難場所まで行ってくれた。
- 文化のちがう人どうしが一つの学校にいるすごさ、外国人というくくりなく友だちになれるすばらしさ。
- APUを知れてよかった。APUを通して別府を知れた。
- 亀川ではAPUの学生をよくみかける。子どもたちは挨拶したりしていて「分けて」いないと思う。
- APUの学生がどんな風に過ごしているのか、APUの学校がどんな学校か知れてよかった。
- 「混ぜる」ということがどんなに大切かよく分かった。
- コンビニなどAPUの学生が多く、はじめは戸惑うこともあったが、非常ににこやかに接してくれ、戸惑いや心の壁がなくなり、自分の意識も変わっていった。
- 保育園にも外国の子どもがいるが、子どもの間には差別や区別がなくとても自然に遊んでいる。大人の目が差別意識をつくっているのではと思った。
- 違いで差別しない、他者を認める心が必要だと思った。
お問い合わせ
共生社会実現・部落差別解消推進課
〒874-8511 別府市上野口町1番15号 (市庁舎4F)
電話:0977-21-1291
Eメール:hur-le@city.beppu.lg.jp