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産業

別府温泉のなぞと歴史

別府温泉のなぞ

 別府といえば「温泉」、この別府温泉を訪ね宿泊する人の数は、年間400万人を超えます。
また、全国には2,000有余を数える温泉地があり、年間1億人を超える多くの人が温泉を楽しんでいます。
私たちが、ふだん気軽に利用している温泉は、泉質や効能もさまざまです。なかでも別府は数多くの温泉が湧出していることでは日本一の温泉です。
別府湾一帯から、九重・阿蘇を経て島原半島を含む広大な地域は、地盤が沈む地溝帯で、この地溝を中心に約3万年前に活性化した火山活動は地熱温泉活動をもたらしました。
この火山活動により別府の地形には、二つの大きな断層が生じています。
この断層と鶴見岳やガラン岳の火山活動が影響しあい、地下のマグマからの熱が噴出した高温高圧の「熱水だまり」が地下数千メートルの所にできます。
地下に浸透した雨水は、マグマの熱で温められた「熱水だまり」にふれ、再び地表に噴き出す途中、さまざまな成分を取り込み、温泉水となります。

別府温泉の歴史

別府温泉は、8世紀の初めに編まえた「伊予国風土記」に「神代の昔、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)の二柱が伊予の国を訪れた時、少彦名の命が病を得て卒倒し、嘆き悲しんだ大国主の命が、豊後水道の海底に長いパイプを敷いて、別府の温泉を道後へ運び、少彦名の命を湯浴みさせ、病気が回復した」と記されています。豊後風土記にも赤湯泉(血の池地獄)などの記述があります。

鎌倉時代は、大友頼泰が元寇の役で傷を負った武士を癒すため、別府、鉄輪、浜脇などに療養所をつくったとの記録が残されています。
江戸時代・元禄7年には、医学者貝原益軒が残した「豊国紀行」にも温泉場の賑わいが記述されています。
明治にはいると、「上総(かずさ)堀り」による掘削技術が進み、別府温泉は一気に発展し、明治の後期でも約1,000孔の掘削井があったと言われています。
昭和においては、戦後の社会情勢の安定化や経済復興に伴い、温泉開発の勢いが増し、昭和30年代から40年代は急激な温泉開発の時代でありました。

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温泉課 

〒874-8511 別府市上野口町1番15号 (市庁舎4F)

電話:0977-21-1129

Eメール:hsp-te@city.beppu.lg.jp

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